海外就職その後の体験談
『インドネシアで活躍する起業家日本人10名に選ばれるよう日々精進しています』インドネシア:ジャカルタ在住6年 H.Tさん35歳
海外就職をして3年以上経過した方のインタビュー
Q1:現在お住まいの国及び都市はどこですか?
インドネシア・ジャカルタ
Q2:Q1での勤務年数は?
6年
Q3:日本を離れてから現在までの経緯は?
フィリピン留学→東南アジアバックパック→東南アジア就活→インドネシアとベトナムで内定、インドネシアの商社に決める→日本本社で研修→アジア支社を訪問、見学→ジャカルタへで就業(約5年)→ジャカルタで企業
Q4:現在、どんな業界、職種でお仕事をされていますか?差し支えなければポジションもお知らせください。
独立、製造のMarketing Advisor
Q5:海外だからこそ経験できた仕事内容を具体的に教えてください。
・いきなり部門長
・予算作成、報告。
・営業戦略、訪問業種、会社、製品など全て自分で判断できたところ。
・仕入れ先開拓、販売先開拓含む。
・シンガポールやタイ、マレーシア、フィリピン、台湾など日本にいたら関われないようなグループ会社と連携して情報交換し、日々の営業に役立てられたこと。
・海外の仕入れ先との面談、アテンド、客先訪問。
・企業のトップとすぐ面談できるところ。
・予算作成、報告。
・営業戦略、訪問業種、会社、製品など全て自分で判断できたところ。
・仕入れ先開拓、販売先開拓含む。
・シンガポールやタイ、マレーシア、フィリピン、台湾など日本にいたら関われないようなグループ会社と連携して情報交換し、日々の営業に役立てられたこと。
・海外の仕入れ先との面談、アテンド、客先訪問。
・企業のトップとすぐ面談できるところ。
Q6:苦労したことは?壁にあたったことは?帰りたいと思ったことはありますか?
<それはいつ頃ですか?>
3年目と5年目
<それはどのようなことですか?>
3年目は、日本に帰って転職するか一度悩んだ。
理由は給料が上がらなかったことと、経験をもとに日本に帰ればもっと良い職に就けるかと思ったから。
5年目は、理由なしに頻繁に変わる法改正と客先に文句を言われる板挟みに死ぬほど苦しんだ。
3年目と5年目
<それはどのようなことですか?>
3年目は、日本に帰って転職するか一度悩んだ。
理由は給料が上がらなかったことと、経験をもとに日本に帰ればもっと良い職に就けるかと思ったから。
5年目は、理由なしに頻繁に変わる法改正と客先に文句を言われる板挟みに死ぬほど苦しんだ。
Q7:Q6をどのように克服しましたか?
・苦労したことは言葉と文化の壁。営業するにも現地の言葉ができないと何も進まないので、最初の1年は相手の迷惑覚悟でテレアポを毎日ひたすらしてビジネス定型文を体に叩き込み、面談で使用する単語も少しづつ覚えた。まともな営業がローカルにできるようになるには3年かかった。
5年目の壁は、とにかく友人や大使館、日本コミュニティ、Jetro、更にはコンサルなどとにかく情報をとって最善の策をとり乗り越えた。
5年目の壁は、とにかく友人や大使館、日本コミュニティ、Jetro、更にはコンサルなどとにかく情報をとって最善の策をとり乗り越えた。
Q8:海外就職して得たこと(成長したこと)は何ですか?
・得たことは自信
日本にいる時よりも希少価値の高いことをやっているということが死ぬほどモチベーションになっていた。
日本に帰った時にも友人に土産話がし易く、とにかく充実していたしトータル的に楽しみながら仕事をしていたので、仕事を楽しめていない人が多い中、更に自信へとつながった。
・それなりの大企業で働いて、急成長のマーケットで働いていたので、日本本社の人よりも現地採用の自分のほうが経験や知識が多くなってきたとわかった瞬間から更に成長を感じた。
勿論自社業界のみならず、海外の市場全体の動き、ニュースなども積極的に取り入れたことにより、インドネシアの、東南アジアのスペシャリストという自負が生まれていた。
・営業面で成長
トークが苦手だったことから営業を始めたようなところがあり、やったこともない法人営業はやり方がわからず、また誰も教えてくれないのでとにかくひたすら誰かの真似をしたり、自分で本を読んだりとして自分なりのスタイルを築いた。
まだ未熟だが、6年前に比べると比べ物にならないくらい成長していると100%いえる。
日本にいる時よりも希少価値の高いことをやっているということが死ぬほどモチベーションになっていた。
日本に帰った時にも友人に土産話がし易く、とにかく充実していたしトータル的に楽しみながら仕事をしていたので、仕事を楽しめていない人が多い中、更に自信へとつながった。
・それなりの大企業で働いて、急成長のマーケットで働いていたので、日本本社の人よりも現地採用の自分のほうが経験や知識が多くなってきたとわかった瞬間から更に成長を感じた。
勿論自社業界のみならず、海外の市場全体の動き、ニュースなども積極的に取り入れたことにより、インドネシアの、東南アジアのスペシャリストという自負が生まれていた。
・営業面で成長
トークが苦手だったことから営業を始めたようなところがあり、やったこともない法人営業はやり方がわからず、また誰も教えてくれないのでとにかくひたすら誰かの真似をしたり、自分で本を読んだりとして自分なりのスタイルを築いた。
まだ未熟だが、6年前に比べると比べ物にならないくらい成長していると100%いえる。
Q9:現時点でかまいませんので、今後のキャリアをどのように考えていますか?
まずは目先の事業を安定させる。
Q10:最後に、これから海外就職を希望される方へどのようなことでも良いので、コメントください。
海外就職は大卒なら正直誰でも簡単に始めれらますが、それがゴールではなく、そこで何を学んで、今後にどう繋げるかを常に考えていたほうが良いと思います。
何故なら、すぐに挫折したり、来ただけで英語や営業スキルなどが上がると勘違いしている人がいるからです。
とはいえ、未来がどうなるのかは誰にもわからないので、一度スタートしたらまずは全力でその業界を研究し、スペシャリストになることを目指していけば、道は開けると思います。
ある程度知識と経験が溜まれば、どう行動するのがよいのか、自分で答えが出るものだから。
少なくとも私はそうでした。
キャリアは決してきれいにつなげなければいけないものではないと思いますし、どこかでつながる瞬間があります。
自分も現在前々職の経験が今頃活きていたりしますので。
何故なら、すぐに挫折したり、来ただけで英語や営業スキルなどが上がると勘違いしている人がいるからです。
とはいえ、未来がどうなるのかは誰にもわからないので、一度スタートしたらまずは全力でその業界を研究し、スペシャリストになることを目指していけば、道は開けると思います。
ある程度知識と経験が溜まれば、どう行動するのがよいのか、自分で答えが出るものだから。
少なくとも私はそうでした。
キャリアは決してきれいにつなげなければいけないものではないと思いますし、どこかでつながる瞬間があります。
自分も現在前々職の経験が今頃活きていたりしますので。
プロフィール
インドネシア:ジャカルタ在住6年 H.Tさん35歳
事業を安定させる
日本の三流大学を卒業後ドラッグストアで店長職を担いつつ、5年半勤める。退職後にフィリピン留学へ、現地採用職を知り就活、東南アジア全域を旅した結果、インドネシアで働くことを決める。
ジャカルタの商社でMarketing Managerとして部門責任者を果たし5年半勤め、現在は製造業を起業。
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ジャカルタの商社でMarketing Managerとして部門責任者を果たし5年半勤め、現在は製造業を起業。
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