海外就職その後の体験談
『海外は刺激的かつストレスフル。それでも挑戦することで得られるものがある』インド:グジャラート州在住5年 N.Mさん29歳
海外就職をして3年以上経過した方のインタビュー
Q1:現在お住まいの国及び都市はどこですか?
インド・グジャラート州
Q2:Q1での勤務年数は?
5年
Q3:日本を離れてから現在までの経緯は?
インドで日系車業界法人営業&プロジェクト管理5年経験。
Q4:現在、どんな業界、職種でお仕事をされていますか?差し支えなければポジションもお知らせください。
日系建設業設備会社 プロジェクトコーディネーター5年経験。
Q5:海外だからこそ経験できた仕事内容を具体的に教えてください。
一つのプロジェクトの始まりから終わり、またその後設備が稼働したあとまで一貫して携わることができたこと。何もなかったところに設備を据付し、実際に稼働した後、人がそこで働いているところを見て感動しました。
Q6:苦労したことは?壁にあたったことは?帰りたいと思ったことはありますか?
<それはいつ頃ですか?>
帰りたいと思ったことはありません。ただ日常的に業務が思ったように進まないことがあります。
<それはどのようなことですか?>
日本とインドとの文化的な違いが大きく、認識のズレが起こりやすいことです。日本人同士であれば10のことをしてもらうのに1から10まできっちり説明する必要はありません。しかし日本人と同じ感覚でインド人に仕事をしてもらおうと思うと、全く仕事が進まず思った成果が出なかったり勝手に違う方向に行っていたりします。その度に腹が立ったり苛立ったりします。
帰りたいと思ったことはありません。ただ日常的に業務が思ったように進まないことがあります。
<それはどのようなことですか?>
日本とインドとの文化的な違いが大きく、認識のズレが起こりやすいことです。日本人同士であれば10のことをしてもらうのに1から10まできっちり説明する必要はありません。しかし日本人と同じ感覚でインド人に仕事をしてもらおうと思うと、全く仕事が進まず思った成果が出なかったり勝手に違う方向に行っていたりします。その度に腹が立ったり苛立ったりします。
Q7:Q6をどのように克服しましたか?
<克服するうえで準備したことや必要になったものは?>
時間とともにインドとインド人に対する理解や諦めが深まり、いちいち腹を立てなくなりました。物事はスムーズに進まないことを前提として、問題が起きたときにいかにリカバーすることができるか、いかに別のアプローチを取れるかを考えるようになりました。
<克服した方法や取り組みは?>
具体的な方法はなく、日々のインド生活と仕事の中で自然と今の姿勢が身につきました。
時間とともにインドとインド人に対する理解や諦めが深まり、いちいち腹を立てなくなりました。物事はスムーズに進まないことを前提として、問題が起きたときにいかにリカバーすることができるか、いかに別のアプローチを取れるかを考えるようになりました。
<克服した方法や取り組みは?>
具体的な方法はなく、日々のインド生活と仕事の中で自然と今の姿勢が身につきました。
Q8:海外就職して得たこと(成長したこと)は何ですか?
人間的な成長が大きいと思います。インド人の長い話に耐えられる忍耐力と、計画性の無さから来る突発的な問題への対応力を身に着けたことによる、何が来てもなんとかなるという根拠のない自信を得ました。
Q9:現時点でかまいませんので、今後のキャリアをどのように考えていますか?
現在、客先常駐で営業を行っていますが、自分の適正としてはIT方面への適性を感じています。
今後は現場経験を活かしつつ、ITによる業務改善も同時に行う「市民開発者」と呼ばれる人材を目指します。
また、現在オンラインの大学で経営を学んでいるため、学んだことを活かして自分で社内新規事業を起こすなどしてみたいと考えています。
今後は現場経験を活かしつつ、ITによる業務改善も同時に行う「市民開発者」と呼ばれる人材を目指します。
また、現在オンラインの大学で経営を学んでいるため、学んだことを活かして自分で社内新規事業を起こすなどしてみたいと考えています。
Q10:最後に、これから海外就職を希望される方へどのようなことでも良いので、コメントください。
日本とは勝手が違う海外で働くことは良くも悪くも刺激的であり、ストレスフルでもあります。日本では経験し得ないようなことが起きるのが海外です。その環境の中で働いてきたことで人間的に一回りも二回りも大きくなっていると感じます。その環境に身を投じてみれば案外なんとかなるので、恐れず挑戦してみてほしいです。
プロフィール
『海外は刺激的かつストレスフル。それでも挑戦することで得られるものがある』インド:グジャラート州在住5年 N.Mさん29歳
何が来てもなんとかなる
日本の工業高校を卒業後、製造業ライン工を4年半経験の後、退職。その後フィリピン留学、カナダ・ワーキングホリデーを経てインドへ海外就職。現在は日系建設業設備会社でプロジェクトコーディネーターとして5年勤めています。次はまた別の国で働くことを検討中。