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「この会社にいても先がない」。大川春樹さんが入社半年でとった選択

働きはじめて数年で、多くの社会人がある悩みにぶつかります。それは、「このままで大丈夫なのかな?」――。大川春樹さん(仮名・当時23)は、地元の地方銀行に就職してわずか半年でその悩みにぶつかり、海外就職を決意しました。その理由と選択を紹介します。

「ここにいて成長できるのだろうか?」

大川春樹さん(仮名・当時23)は東京の大学を卒業後、2012年に地元の地方銀行に就職した。しかし、半年も経たない内に「この会社にいても先がないと気づいてしまいました」。

入社当初は、法人営業を担当して財務諸表を読み込めるようになりたいと考えていた。しかし、実際は個人営業担当で金融商品を売り歩く日々。ローラー作戦で顧客開拓に励んでいたが、ふと隣を見ると40代の上司も同じ仕事をしている。ここにいて成長できるのだろうか、と不安になった。

そもそも地方銀行を取り巻く業界自体が市場の伸びしろがなく、保守的な体質だった。更には、会社の飲み会への参加はもちろん、地域のボランティアや祭りの準備、手伝いに週末も駆り出される「ムラ社会」的な環境。

「思い切りがいい方」とよく言われるというが、自分が成長できる環境ではないと早々に見切りを付けて、転職を考え始めた。

「スキルアップと差別化を」海外就職を決意

周囲を見ていると地方銀行からは、地元の市役所か証券会社、保険会社が典型的な転職先候補だった。「でも、スキルアップができて差別化が図れるような転職がしたかったんです」

 そこで偶然知ったのが海外就職という選択肢だった。これまで留学経験もなく、大学入学当時に受けたTOEICは500点ほど。英語が得意なわけでもなかった。それでも、現地採用として働く人が書いているブログを偶然目にして、英語を使って仕事をする姿と成長できる環境に心惹かれた。ポジションによっては車の送迎がつくという、日本では考えられないような待遇も驚きだった。

「キャリアの差別化のために海外に行こう」

ここでも、思い切りよく決断する性格が功を奏した。それから1年弱。準備期間として銀行に勤めながら、オンライン英会話で会話の練習を続けた。国は、日本人人材へのニーズが高く、まだまだ経済も伸びていく国―ベトナムとインドネシア―を狙うことにした。

2か国とも行ったことのない国だった。13年夏、銀行を退職すると、ベトナムとインドネシアへ渡った。実際に住むことができるのかを確かめること、そしてその場で面接を受けることが目的だった。

「海外でやっていけるんだろうか」「試用期間でクビになるのでは」

そんな不安もないわけではなかった。でもそれ以上に、「わくわくしました」。初めて目にするベトナムとインドネシアは、活気に満ち溢れていた。途上国の様子も残しながらも立派なビルが立ち並び、まさに今、若い人が中心となって経済が発展しているエネルギーを肌で感じたという。

滞在中に面接を重ね、日本に本社があるインフラ系のエンジニアリング会社のベトナム現地法人に内定をもらった。帰国してすぐにビザを取得すると、1か月後には、荷物をまとめベトナムへ旅立った。「ここで働けるんだ」という希望に胸を膨らませて。

 

海外勤務のスタート

ベトナム現地法人は、法人化して間もない立ち上げ時期だった。日本人駐在員が5人、ベトナム人が25人の計30人ほどの職場。現地採用は大川さん1人だった。

ビジネス英語、インフラ関連の高度な専門知識、ベトナム人とのコミュニケーション、ベトナムの商習慣、契約書にまつわる法務知識……。

挙げればキリがないほど、すべてが初めての環境だった。

働き方もそうだった。依頼した仕事が期日までに出来ていないのに、帰宅してしまう同僚に戸惑うことも多々あった。けれど、日本の考え方にこだわらず、依頼の仕方や仕事の進め方を工夫をしてみると、少しずつ働き方の背景にあるベトナム人の考え方も理解できるようになっていった。

「家庭と体を壊すまで働くよりも、家族と健康を大事にして働くことが本来の姿かもしれないという気付きもありました」

「しんどい」よりも成長できている喜び

「ベトナムでの経験で何を得ましたか?」と質問すると、しばらく考えて大川さんはこう答えた。

「まず間違いなく英語力ですよね。そして、インフラ分野への専門的な知識・経験、契約書周りの法務知識。交渉力も海外ではなくてはやっていけません」

「日本でこの業界に携わっていたとしても、成熟した市場では小さいパイの奪い合いです。取りこぼしが許されないため、常に上司が手取り足取り。更に組織も大きいので、仕事も細分化されています。

 ベトナムでは組織が小さい一方で、市場がどんどん伸びて競争も激しい。だから、20代でも案件の責任者として裁量をもって色んな仕事を経験できたのは貴重でした」

実際に、大川さんが働き始めた当時は、日系企業の技術力と実績が買われて受注できていた案件も、次第にローカル企業の台頭やシンガポール、韓国企業の進出によって、どんどん競争が熾烈になっていった。次から次へと、案件が尽きることがなかったという。

「大変だったんじゃないですか?」と重ねて尋ねてみた。

「実は、『しんどいな』と思ったことはあまりないんです。それよりものすごくスキルを得ているなという実感があったので。大変だけど刺激的でした」

大川さんにとっては、成長してスキルアップできる環境こそが求めていたものだった。がむしゃらに経験を重ね、5年後には日本本社採用に切り替わり、本社の海外事業部勤務に。ベトナムで現場の最前線で働いていた環境から一転、本社から海外事業をサポートしたり、省庁と案件を交渉したりと、より大きな視点での仕事に携わるようになった。

選択できるという自由

そんな環境で5年働いた2023年、転職を決意した。会社の方針変更により、海外事業より国内事業に重点を置くようになったからだ。

会社に残り、人事異動に従って配属された部署で働くという選択肢もあった。でも大川さんは転職を選んだ。「自分の価値が高まり、活躍できる場所はどこか?」と考えた時に、今の会社にはもうないことは明白だったからだ。

「自分に合う環境、求める環境を自分で選ぶことができる。そうした選択肢を持てるようになったのは大きな意味があると思います」

環境問題が世界的な課題となっている今、大川さんが携わる分野は一生をかけて取り組む価値があると感じている。数年後にはまた駐在員として海外に赴任する予定だ。目の前でプロジェクトが完成する充実感と躍動感を感じながら、また次の挑戦に挑む。

*大川春樹さんや他の方の体験談は「逆転思考のキャリア」にも載っています*

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