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中国ローカル学校の給食事情!「微妙な味」にも懐かしさ、中華は体の一部に|中国・吉岡愛羅

世界各国から現地のリアルな情報をお届けするアンバサダー発信。6月のトッピクは「食事」です。海外で暮らすとなると避けては通れない食の問題。第3弾は中国から。小学生時代を中国の現地校で過ごした帰国子女の吉岡さん。なかなか知る機会のない給食事情やこっそり楽しんだ放課後の屋台について教えてくれます。

ニーハオ!現在中国の華南地域、深センで仕事をしている中国帰国子女の吉岡です。私は小学校時代、上海の現地校に通っていました。日本人はもちろん1人。「特別扱いをしない」ということを条件に入学を許されるという、とても珍しいケースでした。何から何まで日本と違う環境に最初は戸惑いましたが、今ではすっかり良い思い出です(笑)。そこで、これは今から10年ほど前の経験ですが、当時の記憶を掘り起こしながら、珍しい中国ローカルスクールの給食事情をご紹介します!

学校史上初の外国人学生、特例の入学?!

私が小学校1年生の頃。父親の中国赴任が決まり、一家で中国へ引越しました。通常は日本人学校に行くのが普通ですが、我が家の場合は違いました。当時、父親と仕事のつながりのある現地校の校長先生の計らいにより、「現地の子供と同じく、特別扱いをしない」という条件付でこの学校に入学することができました。

恐らく、学校史上初めての外国人学生となった私でしたが、受け入れた学校側の体制も整っていませんでした。当然、日本語が話せる先生や友人もなく、最初は身振り手振りで意思疎通を取るので精一杯でした。

当時のクラスは1学年4クラスで、一人数は1クラス当たり30名前後。5年制だったため、全校で約600人の生徒が学んでいました。

日本と同様担任の先生がクラス毎に付きます。ただ、日本のように一人の先生が全教科を担当するのではなく、教科ごとに先生がいるのが特徴です。

当時通っていた小学校の外観

おいしいと言えない給食、それでも自分の一部に

本題の食事についてですが、ローカルスクールのランチは給食形式。お昼休憩が近くなると、給食係のスタッフが一クラス分のお弁当箱が積んである大きな箱を引っ張って、各教室のドアの近くに置いていきます。

大体授業終わりの15分前になると運ばれてくるので、音が聞こえると「あ、もうすぐ授業が終わるんだな」と分かります。日本のような給食当番制ではなく、運ばれてきたお弁当箱を各自が取るスタイルですお弁当以外には毎食スープが付いていました。子供の腰くらいの高さのドラム缶にスープが入っていて、自分で持ってきたお椀に先生が注いでくれます。

スープが入っているドラム缶のようなスープ鍋。先生がお椀に注いでくれます

毎食異なるスープが出てきて、豆腐スープ、海苔スープ、ミネストローネなどバラエティー豊富でした!

給食の入っているお弁当箱

赤色のプラスチック製のお弁当箱には白米と2,3品のおかずが入っていました。白米のほか、チャーハンの時もあります。おかずは一般的な中華料理の卵とトマトの炒め物、チンゲンサイの炒めものなどでした。お弁当は一人一箱なので、お代わりはできなかったですが、スープは余りがあれば追加で飲むことができました。

あと、記憶に残っているのが、お弁当を食べているとき。突然口の中で「ジャリッ」とすることがたまにありました笑。異物の犯人は今だわかりませんが、せめて砂ではなく、卵の殻であった事を祈りたいところです。

肝心の味はというと…、おいしいおかずもたまにあるのですが、基本的にはあまりおいしくなかった記憶がありますね。日本へ本帰国した後、中学校で出てきた給食のおいしさに、正直とても驚きました。給食の味は日本の圧倒的に良かったです。

ただ、今でも中国のお米の香りを嗅ぐと、「美味しそう」だけではなく、「ああ、懐かしいな」とほっとする気持ちになります。(両親には同じ日本人としてはちょっと……とドン引きされてしまいました笑)当時毎日中国の給食を5年間食べ続けていて、中華はすっかり私の一部になっていたのだと思います。

魅惑の味、放課後の屋台おかし

本当は食べてはいけないけれど、どうしても誘惑に負けてしまうものが当時ありました。

放課後の楽しみはといえば、友人と屋台での買い食いです。笑香酥鸡(シャンスージー)という揚げ鶏肉の屋台に時々行っていました。鳥ひき肉のようなお肉に小麦粉を塗し、油でさっと揚げたものです。

屋台買い食いの定番、シャンスージー

当時、屋台での食事は、衛生的ではなく、油もあまり綺麗ではないので、母からは食べるのを禁止されていました。それでも、ダメと言われると返ってやりたくなるもの。母には内緒で時々友人とこっそり買いにいき、食べていました。本当は食べてはいけないものを食べている緊張感が加わると、より一層美味しく感じられるものです(笑)。

中国の食事衛生事情を知ってしまった今では、食べたいと思うことは少ないのですが…当時の良い思い出の一品です。

値段は3元ほど(約60円)

懐かしの中国駄菓子

もう一つ懐かしいのが、中国のお菓子。当時、校門を出て道路を渡ったすぐ先に小さな売店があり、学生は良くそこで筆記用具やお菓子を買っていました。私も、良くそこでお菓子を放課後買いに行っていたので、今でもお菓子を見ると懐かしく思います。

当時良く食べていたお菓子を少し紹介させて頂きます!

これは、日本でいうベビースターラーメン。味付き乾燥麺がブロッグで入っているので、食べる前に中身を食べやすい大きさに砕きます。味はバーベキュー味や中国調味料の五香粉(ウーシャンフェン)味が主流で、一度食べると病みつきになります。

こちらはちょっと不思議なお菓子。薄いプラスチックの管のようなものの中にヨーグルト味のような甘いペーストが入っていて、吸って中身を食べます。管は食べられないので、捨ててしまいます。

上海での日本食、10年前は片道2時間かけて

最後に、当時の上海の日本食事情について。急速に経済発展している上海は、10年前と今とでは様相が随分と変わっていますが、昔は日本の調味料が入手できるスーパーはかなり限られていました。私が当時住んでいた所は上海の浦東というエリア。

上海は大きく、黄浦江という川を挟んで、浦東、浦西に分かれています。私が住んでいたのは、当時都市開発が盛んで、発展途上の浦東エリア。駐在員は通常浦西エリア住むことが多かったため、日本食のスーパーや日本料理屋さんはこのエリアに集中していました。母は毎週週末、家から1時間以上かかる日系スーパーへ通い、日本の調味料や卵など、食材を調達していました。

両親は日本食が恋しくなるようで、毎週週末家族で浦西へ行き、日本食料理屋さんで食事をするのがファミリーイベントでした。(すっかりローカル食に馴染んでいた私は日本料理への欲求は少なく、毎週わざわざ2時間もかけて浦西へ行くのが実はとっても憂鬱でした)。

今回、私の非常に個人的な体験をもとに、ローカル学校での食生活、日本食調達事情を紹介しました!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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