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8月のトピックは「なぜ海外移住をしたの?」です!
海外移住をした理由は、人それぞれ。深く探ってみると、読者の皆さんとの共通点も見えてくるかもしれません。
今回は当時の状況を振り返って、じっくりとその理由について語ってもらいます。
はじめに
ニーハオ!中国在住の吉岡です。
中国(深圳)での生活も、来月でいよいよ3年目になります。
2年経つと環境にすっかり慣れてくるもの。元々湿気や熱帯気候は苦手な方ですが、熱帯気候も悪くないなと思う今日この頃です。
むしろ日本に一時帰国した際、体が日本の気候に合わず、体調を崩してしまいます。人間の環境適応力にはつくづく驚くばかりです。
私の中国での経験は、深圳で生活した2年間、そして幼少期上海で過ごした8年間。
間にブランクはありますが、中国歴も合算すると10年超になりました。
最近は生活が安定してきたためか、「海外に居る」という感覚よりも、第二の故郷と感じるほどです。
幼少期に中国で生活していたため、今こうして中国で再び生活をしているのは傍から見れば自然のように見えるかもしれません。
しかし、日本へ本帰国した後、暫く海外へ出たくないと思う時期もありました。
紆余曲折を経て再び海外生活に踏み切ったのですが、今回この経緯を紹介したいと思います。
私の場合は少し例外的なパターンですが、何か皆さんの海外へ行くヒントになれば嬉しいです。
中国の文化へどっぷり浸かった5年間
中国の現地校で過ごした5年間の当時を振り返ると、中国の文化へ適応し、成長した時期でした。
当時の私の様子を母に聞いてみたところ、現地の雰囲気にみるみる溶け込んでいくわが子を見て「子供の順応性の偉大さ」を改めて目の当たりにしたようでした。
この「現地化」の例を挙げるなら、枚挙にいとまがありません。
例えば、日本へ一時帰国した際、街中の日本語の看板を見ると咄嗟(とっさ)に中国語読みをしてしまいます。
「エアコンを開ける」(中国語で、エアコンをつけるを”開空調”と言います)と言って、
両親に「エアコンは開けるのではなく、つけるんだよ」と笑われたり、寝言も日本語ではなく、中国語を話していたようです。
今振り返ると恥ずかしい話ですが、日本の友人の自宅を訪問した時、
スリッパを脱がずに、畳の客間へ上がってしまったこともありました。
毎日中国のクラスメートや先生と時間を過ごし、人間関係を構築する中で、日本人としてのアイデンティティーだけでなく、自然と中国のアイデンティティーも育ったたのだと思います。
日本留学を決意、憧れ衰えず
このような異文化の環境に完全に適応していた自分ですが、
日本への本帰国後は、海外へ出たくないと思っていた時期がありました。
それは大学進学の時のこと。
「私は海外ではなく、日本の大学に留学したい」。
高校卒業後の進路について、両親へ自分の意志を伝えました。
私は、中国の現地校の小学校へ5年間通い、中学はインターナショナルスクールに籍を置きました。
そのため、両親は私が再び海外へ出たがると思っていたようです。
しかし、両親の予想と期待とは裏腹に、
私は日本で進学することに、とても誇りをもっていました。
何故なら、日本でほとんど義務教育を受けた事がない私にとって、日本の学生生活は憧れでした。海外の大学は新鮮みにかけ、日本の大学の方がよっぽどワクワクするように感じたからです。
後々知りましたが、母国に憧れを持つというのは、海外生活が長い帰国子女には特有な傾向なようです。
長い間海外生活をしていると、日本の暮らしを知らずに成長するため、日本での生活を憧れを持つようです。
また、私の場合、帰国後は海外生活が続いた反動で、暫く海外へは出たくないという気持ちも相まったのかもしれません。
再び海外生活へ、きっかけはオーストラリアでの出会い
その後、念願の日本の大学へ進学が決まり、晴れて大学生となりました。
最初は、大学の授業にサークル活動、そしてバイト、何もかもが新鮮でした。
しかし、新鮮さも薄まるにつれ、日本の独特な空気を読む文化やストレートに物事を言わないコミュニケーション方法に表現し難い違和感と居づらさを感じ始めました。
また、日本の環境へ馴染むほど、中国で育った自身との考え方や価値観との違いが際立つばかり。
当時はその違いを肯定的に捉えられず、「自分は何人なのか?」「同じ日本人なのに、なぜこんなにも周りと違うのか?」と思い悩む日々が続きました。
そして転機となったのは、2週間のオーストラリア旅行。
今振り返ると、オーストラリアでの出会いが再び海外で生活をしたいと思い始めるきっかけになりました。
この2週間、「せっかくなら現地の友人を作りたい」と思い、留学生が集まる「ミートアップ」というイベントへ頻繁に足を運びました。
ロシア人、カナダ人、中国人など国籍多様な留学生が集まったイベント。様々な文化的背景を持った方と出会ったことが、これまでの固定観念をマインドセットしました。
中でも、中国の両親を持ち、オーストラリアで生まれ育った中国華僑の友人とは多くの共通点と親近感を感じました。
彼女と会話をする中で、二つの文化的なアイデンティティーを持つ人が世界には沢山いることを知り、自分が今まで感じていた悩みが悩みではなくなりました。
「海外に出れば色んな人に出会える」と感じ、もう一度この環境で生活をしたいという気持ちが芽生え始めました。
再び中国で生活する中で…
今再び中国で生活をする中で、快適と思う時もあれば、今すぐ日本へ帰りたい!と刹那的に思う瞬間もあります。
どちらが完全に居心地が良いこともなく、また完全に居心地が悪いわけでもない。
時には中国を求め、時には日本を求める、常に中国と日本の文化の間を行ったり来たりするのが自分なのかもしれません。
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