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「なんとかなる」を伝えたい。「元女子」としての新たな挑戦|安井隆飛さん

新宿2丁目の入口に、2023年末にオープンしたショットバー「G-pit(ジーピット)」。店長としてカウンターで豪快に笑うのは、FTM(Female to Male)ー女性として生まれたけれど、男性として生きることを望む人ーの安井隆飛(りゅうと)さん(36)です。「環境に恵まれて、自然体で生きることができた」という安井さん。それでも働くなかでいくつかの障壁もありました。安井さんの経験とそこから見つけ出した生き方を紹介します。

「男女ってこんなに違うんだ…」中学生での気付き

――昨年12月にオープンしたばかりなのですね。おめでとうございます。このお店はどんな趣旨なのですか?

2丁目ってやっぱり、ディープな感じがすると思うんですよね。会員制だったり、一見さんお断りだったり。結構ルールがあるんじゃないかと思われると思うんですよ。初めてだと少し行きにくくないですか?

――そうかもです。

ですよね。それを変えたくて。僕はFTMの当事者だけど、心の性別とか、戸籍の性別とか、国籍とかも関係なく、誰でもみんなふらっと来て飲んで帰ってねっていうバーにしたくて。うちのスタッフにも、性別関係なく好きになった人が好きというパンセクシュアルの子もいるし、ノンケ(異性愛者)の子もいるし。

とにかくなんでもOK!!お客様が何も気にせず自分らしくいられる場所を作りたいという理由で始めました!

――じゃあ、LGBTではない人もウェルカムですか?

もちろんです!結構多いですよ。最近だとひとりで来られる女性もたくさんいます。やっぱり最初は、入店するのにめちゃくちゃ緊張するらしんですよ。でも「こんな楽しいところあるんだ!」って2回目、3回目と通ってくれて。

――へ~!いろんな人と話して楽しみたい人にはぴったりですね。ところで安井さんは、女性として生まれたけれど性適合手術もして、戸籍の性別も名前も変えたんですよね。いつ頃から自分の性別に対して疑問をもつようになったんですか?

小学校の時から、男子としか遊ばなかったんですよね。それが全然変とも思ってなくて。運動が好きだったので、男子しか入れない球技クラブに入ったり、放課後に男子とサッカーや野球をして遊んだり。

中学に入ると、いちいち男女で分かれるのが結構ショックでしたね。自分が女子っていうのは分かってたのでしょうがないんですけど、なんで体育の授業が一緒に受けられないんだろうとか思ってました。野球部にも入りたかったけれど、「女子は試合に出られない」って言われて、諦めてソフトボール部に入ったり。……なんだろう、男女ってこんなに違うんだなってすごく実感したのが中学生の時でした。

小学生の時の安井さん。運動が大好きで、いつも男子と一緒に走り回っていた

――そうなんですね。いつ「心が男性で、好きなのは女性」と気付いたんですか?
中学生の時に、女性を好きになったんです。2つ年上の先輩が、すーごくかわいくて。「この好きはなんなんだろう?」と思ったのがきっかけでした。小学生の時もかわいいなって思っている子はいたんですけど、それとは違くて。

――最初はよく分からなかったんですね。中高はずっと共学だったんですか?

そうです。僕スカートがホント嫌で。中学なんて、入学式、卒業式以外はずっとジャージで学校に行ってました(笑)

高校ではサッカーをやりたくて、女子サッカーが強い高校に行ったんです。サッカー部とかバスケ部とかって、かっこいい女の子がいたりするじゃないですか。そういう僕みたいな人たちは「メンズ」って呼ばれてたんですよ。男の子っぽい女の子。女子同士で付き合う人もかなりいて。僕も、オープンに女性とお付き合いしていました(笑)。

――へ~すごくオープンな環境だったんですね。

そうですね。だから僕は、そこで悩んだり苦しんだりした記憶はないんですよね。胸と生理だけはホント嫌でしたけど。部活にもすごい打ち込んで、サッカー三昧だったので考えている余裕がなかったかもしれません。周りからの偏見もないし、生きやすい環境でした。ちなみに、女子サッカー部の同級生が13人くらいいたんですけど、4人も戸籍変えてるんですよ。

――えっ?同級生4人が性適合手術をして、男性に戸籍を変えたということですか?

そうです!高校卒業後は会ってなかったりもしたんですけど、友だちから「あの子も変えたんだよ」とか聞いたりしました。

――へ~わたしが知らないだけできっとそういう方は周りにいるんでしょうね。

そうですよね。元の性別を隠して生きている人ももちろんいますし。

「隆々しく飛び立て」母からもらった2つ目の名前

――ところで、進学先が東京女子体育大学なんですね。なぜ女子大にされたんですか?

どうしても体育大に行きたいっていう夢があったんですよ。でも、高校の部活で膝の靭帯を切ってしまって。引退後に手術をしたんです。推薦で行ける大学を探したのですが、行ける大学が東京女子体育大学しかなかったんです。手術後で歩くことも実技試験を受けることもできなかったので。でも、やっぱ「女子」ってつくの嫌じゃないですか。

――そうですよねえ。

それでも体育大学に行きたくって。初めは嫌でしょうがなかったのですが、入学したら最高でした(笑)。だって女子しかいないんですよ!毎日合コンみたいな(笑)。僕みたいなメンズも多かったし。めちゃくちゃモテて、戻れるならもう一回大学時代に戻りたいですね(笑)。

P?

――ははは。お話し聞いていると、安井さんはカミングアウトしなきゃとかいうプレッシャーはないんですね。

全くないですね。ずっと自然体でいられたんですよね。

――ちなみに、LGBTQという概念をいつ知ったんですか?

めちゃめちゃ遅いですよ。環境に恵まれすぎて、調べることもしなかったんで。大学時代、友だちに「ヤス、性同一性障害じゃない?」って言われたのがきっかけです。その友だちも、性同一性障害と診断されたみたいで「ヤスも病院へ行ってみたら?」と言われて、「あ、そういうのがあるんだ」と知ったのが大学1年の時でした。

あっ、でも先輩が男性ホルモン注射を打って声が低くなったとか、男性的な名前に変えたとかいう話を聞くことがあって、「僕もいつかやりたいな」と思うことはありましたけどね。

――そうなんですね。そこではじめて手術のことも知ったんですね。

そうそう。胸も取ることができるんだとか、名前も戸籍も変えられるんだ、とか。そこからどんどん知っていきました。ただ僕、大学で念願の野球部にれたんですよ。でもホルモン注射打つと、ドーピングになって試合に出られないし。胸も早く取りたかったですが、練習に支障も出るので引退後に手術すると決めていました。

――ご両親にはいつ話したんですか?

大学1年生の時に、すっっごい好きな人ができたんですね。ほんっと大好きな子に出会えたんですよ。その子がある部活で有名な選手だったんで、大学新聞に載ったんです。それで、その新聞を持って家に帰って「お母さんごめん、自分実は女子が好きなんだ」ってカミングアウトしました。「この子と付き合っていくなかで、胸も取りたいと思ってるし、戸籍も変えたいと思ってるんだよね」と。

――お母さんはなんとおっしゃいましたか?

「分かってたよ」って。僕、当時「ナベシャツ」っていう胸をつぶすきついシャツを着てたんですよ。だから「もうあのきついシャツ着なくていいね」と。「なんで知ってるの?!」って聞いたら、「あたしが洗濯してたんだよ!」と言われて(笑)。

――あはははっ。そりゃそうですよね(笑)。

隠してたつもりが、もろバレだったっていう(笑)。でも「よかったね。やっと楽になれるね」って言ってくれました。でも僕のケジメとして、絶対に両親に手術のお金を借りないで手術すると決めていました。「自分でお金を貯めて手術をするので、許してください」と言ったら、理解してくれました。

――お父さんはどうでしたか?

お父さんには、実家から一人暮らしをしているアパートまで送ってもらう車の中で話したんですけど、「お前は娘だろうが、息子だろうが、俺の子どもだから」って言ってくれましたね。

――うわぁ素敵。ご両親ともにすごく理解がありますね。

それで部活を引退して、胸を取る手術をしました。いっぺんに他の手術もしたかったんですけど、お金が足りないからバイトすることにして。あ、名前は先に変えましたね。バイトを探す時にも、女子の名前で探すのが嫌だったんで。

――隆飛(りゅうと)さんというお名前はご自分でつけたんですか?

母親がつけてくれました。

――えーそうなんんですね!

「新しい人生、隆々しく飛び立て」っていう意味で、この漢字なんです。字画とかにもこだわってくれて。この年でキラキラネームみたいですけどね(笑)。めっちゃくちゃ気に入ってます。

――応援の気持ちが100%詰まっていて、めっちゃ素敵ですね!

反発される家庭もあるなかで、両親が全部理解してくれたのがホントありがたかったです。

手術で行ったタイに一目ぼれ「住みたい!」

――バイトは何をされてたんですか?

配達の仕事とスナックのボーイです。スナックでは大学1年生の頃から6年間働きました。僕、そこのママに救われたんです。

――というと?

スナックの前に、居酒屋でバイトしてたんです。女子の更衣室を使うのに抵抗があり、店長に相談もしましたが配慮してもらえず。その他の面でも店長と馬が合わず、扱いにくいと思ったのか…。最終的には「ホストの方が向いているんじゃない?」と言われてしまいました。

――周りの人が気にするからとかそういう理由だったんでしょうか?

うーん。こういう風に言うスタッフが今までいなくて、店長も対応に困ったんだと思います。当時はLGBTQという概念を知っている人も少なかったですし。

――うーん…。

そうしたら、そこでバイトしていた先輩が、自分の掛け持ち先のスナックのバイトを紹介してくれたんです。面接に行って自分のことを素直に伝えたら、ママが「なんでもいいよ、働いてくれれば」って言ってくれたんです。ママは僕の恩人です。

――あ~それで救われたんですね。そこからお金を貯めて、また手術されたんですね。

はい、25歳の時にタイに行って。

――ひとりで行かれたんですか?

はい。性適合手術専門のアテンド会社に申し込んで、手術をしにひとりでタイに行きました。

――手術をして、戸籍も変えて、気持ちは変わりましたか?

かなり自信がつきましたね。自分は女なんだと一切思わなくなりましたね。

――なるほどですね。その後、安井さんはタイで就職したんですよね?

手術で行ったときに一発でハマって、「なにこの街、住みたい」って思いました。それで、1年に4回くらいタイに行ってたんですよ。タイ人の彼女もできて。気候も自由さも街の雰囲気も大好きで「もう住んじゃえ!」って思ったんです。

――おぉ~就職はすんなり行きましたか?

僕、英語めっちゃくちゃできないんです。be動詞から分かんないんで。1,2,3とかの英語も書けなかったんですよ。

――えぇ!?one, two, threeのことですか?

はい。ははっ(笑)。ヤバいって思って、セブ島に留学行きました。3カ月。

――それだけ行きたかったんですね。

結局、日系の旅行会社に就職したんですけど、働いてみたらほぼ日本語しか使いませんでした(笑)。それどころか、日本語検定1級の日本語ペラペラなタイ人の同僚がたくさんいたので、言葉には全く困らなかったです。

タイで旅行会社に勤務していたころ。チェンマイの有名なコムローイ祭りへアテンドをした

「元女子を強みにしろ」新たな挑戦、最高の開拓

――タイで働いてみて、どうでしたか?

タイはよかったです!僕、骨を埋めようと思ってたんですよね(笑)。でも、日系の会社だったのがちょっと……。履歴書で「元女子」ということを知った日本人の男性上司に、「夜勤できないね」とか裏で言われたり……。


――体力的に心配ということ?

「女子だから」っていう理由で。日本から来たお客さんの24時間サポートをする部署があって、そっちで働きたかったのにダメって言われましたね。

――えー、私新聞社勤務の時、全然泊まり勤務してましたよ(笑)。

偏見ですよね。しかも、僕が元女子だっていうのを、飲み会の場で笑いながらネタにしたりとか。

――えーーっ、それはアウティング(セクシュアリティを許可なく第三者に言いふらすこと)じゃないですか……。

それが一般のスタッフレベルまで伝わってましたから。僕がカミングアウトしていないのに広まっていて。タイに行っていちばんショックでしたね。戸籍を変えて何年も経っているのに、「まだ俺はそんな風に言われるんだ」って。日本に帰ってきた理由は、コロナで部署が変わってその上司が直属の上司になったからということもありますね……。

――それで日本に帰ってきたんですね。ところで、このバーはG-pitという会社の経営ですよね。G-pitとはどんな会社なんですか?

性同一性障害の方へのサポートをしています。タイと日本での性別適合手術を希望する人にLINEで相談にのったり、性同一性障害の診断書をもらうために精神科へ同行をしたり、タイで手術を受ける時のアテンドしたり。

――なるほど。今はG-pitでサポートのお仕事もされながら、このバーの店長でもあるんですね。

今はほとんどバーの仕事をしています。バーを始める前には、サポートの仕事もしていました。僕は結構自然体で、性格的にも何も気にせず生きてきたんですけど、僕が思っている以上につらい経験をしている人や、たくさん悩んでいる人がいることに気付きました。

――LGBTQの人が働く環境について、「こうなればいいな」というイメージはありますか?

すごい軽い考えになっちゃうんですけど……自分が一番気にしちゃんうんですよね。でもカミングアウトしても意外と周りは気にしないないこともあって。悩みすぎないでほしいなって思いますね。こんなこと言ったら怒られちゃうかもしれないですけど。

あと、店長として思うのは、働いてくれればなんでもいいんじゃないかなって(笑)。女だろうが男だろうが、トランスだろうが、女性同士で付き合っていようが、なんでもよくね?って(笑)。

――それは言えてますね(笑)。タイではアウティングをされた経験もありましたが、今は「元女子」ということを隠さずにYouTubeに出たりもされていますよね。

元々は言いたくなかったんです。僕、こういう見た目なんで、言わなかったらバレないですし。でも、社長に「元女子であることを強味にしな」って言われて。それで考え方が変わって。カミングアウトしたら何か世界が変わるかもしれないと思って、僕にとっての新しい挑戦と捉えて、「元女子」を公表してYouTubeにも出演することにしました。

そうしたら、新たな人と繋がれたし、ずっとやりたかったバーの店長にもなれたし。僕のなかでは、最高の開拓でした。

――性別のことだけでなく、いろんなことを隠しながら生きている人はたくさんいますよね。もちろん全部をオープンにする必要はないけれど、オープンにした時に、なんにも不利益がなかったり、新たな道が拓けるのだとしたら、とても素敵ですよね。

はい、僕はすごくよかったと思います。だから、今生きててめっちゃくちゃ楽しいです。「なんとかなる」っていうことをたくさんの人に伝えたくて、バーをやったり、SNSで配信もしたりしています。

安井さんが店長を務めるショットバー「G-pit」はこちら⇒ HP / Instagram

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