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憧れの上司のようになりたい!日本大好きで「普通」なわたしが海外移住をした理由|フィリピン・ヒデシマ

世界各国から現地のリアルな情報をお届けするアンバサダー発信。8月のトピックは「なぜ海外移住をしたの?」です!

海外移住をした理由は、人それぞれ。深く探ってみると、読者の皆さんとの共通点も見えてくるかもしれません。

今回は当時の状況を振り返って、じっくりとその理由について語ってもらいます。

はじめに

はろーぽ!フィリピンのヒデシマです。

今回は、私がフィリピンに来ることになったきっかけをお話しします。

私は日本が大好きで、海外自体に元々興味はありませんでした。フィリピンでも日本と同じような生活をモットーに生活しています。

「それならもう日本で生活したらいいじゃない?」と言われてしまいそうな私が、なぜフィリピンに来ることになったのか、振り返ってみました。

憧れのロールモデル、共通点を発見!

私は新卒でメーカーに入社し、9年間、プロジェクト管理を担当していました。

日本で設計した新製品を東南アジアの工場で量産できるように、日程やアクションを計画し、関係部門や拠点と連携する仕事です。日常的に海外拠点の現地社員とコミュニケーションを取っていました。

当時の私にとって海外拠点とは、メールの返事に1日以上かかり、平気で納期を破り、電話会議をしても「できない」、「でも」ばかり……

日本人駐在員を頼っても、新卒時代は相手にされないことが多く、無責任、非協力的……というのが正直な印象でした。

その結果、進捗確認というごくごく簡単な仕事も、先輩たちは電話1本で済むのに、私は電話さえとってもらえず、メールでも数日かかる始末。スピードも遅く、クオリティも低い自分の仕事にやきもきし、焦る日々でした。

そんな中、私をサポートしてくれたのが、当時の女性上司です。

仕事は早く、責任感は強い。知識の幅は他のプロジェクト管理者よりも広く、他部署や海外拠点からの信頼も厚い。まさに、私のなりたい姿でした。

彼女の業務の進め方を真似てみたり、助言を参考にしたりして動くと、もう無理だと思っていた問題が改善方向に進み出すことも。周囲も協力的になりました。

彼女の様に、多くのプロジェクトを動かせる、戦力のある担当者になりたい!そう思い、尊敬できる先輩方を観察すると、1つの共通点がありました

それは、現場経験です。

当時、私が勤めていた会社は日本に生産現場がなく、顧客は欧米系企業ばかりでした。製品の特長や生産の難易度、顧客評判と言った生の情報が得られませんでした。

一方でその上司は、10年以上海外営業を担当。海外顧客との交渉経験も、海外工場への訪問経験も何度もありました。

こうした第一線の現場経験が語学力や交渉力、タフさや俯瞰力のベースになっていると感じ、彼女のようになるために、私も海外にある現場に行ってみたい、行かねば、と思うようになりました。

「今まで何をしてたんだろう…無力感に直面

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タイ工場でサポートしてくれた心強いタイ人のマネージャー達と。後列が筆者

マレーシアの営業拠点、タイの工場でそれぞれ数カ月間の長期出張のチャンスを得た私を待っていたのはタフな現実でした。

営業拠点では、マレーシア人のマングリッシュをまともに理解できず、顧客の意図をつかめず。

全く交渉ができない事態に、現地の営業担当から呆れられ、私が顧客と電話で話す時には毎回スピーカー通話にさせられました

何よりも、現場のことを何も理解していなかったことにも気が付かされました。

海外工場では、日本の依頼が原因で工場の量産がストップし、一気に数百万円のロスが発生したり、現地社員が深夜遅くまで残業したり、日本の依頼を通すために沢山の調整をしてくれている事態を目の当たりに。

日本では、現地法人を無責任だと非難する気持ちがありましたがむしろ日本側が非協力的であったと痛感しました。

こうした現場の現実を知って、私自身も連日深夜まで工場内を駆け回って、毎日の生産状況の確認や課題解決に取り組み、体力的にも現場のハードさを体感しました。

「出張者」ではなく、現地で一緒に戦う仲間に

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コロナ禍を一緒に乗り越えてくれたフィリピン人メンバー。右の真ん中が筆者

両海外拠点で、無力感に襲われ、仕事への向き合い方は変わりました。5年目にもなると、周りからも頼られ多少のスキルはついた実感がありました

しかし一方で、やはり感じるのは、尊敬する上司との差。

長期出張では、あくまで「出張者」という扱い。現地に入り込むことはできませんでした。

現場経験を積むには出張では足りない。今の環境で働いていても気持ちが緩んでしまう。

何より、チャレンジするなら今!という思いに後押しされ、海外異動希望を出して、プロジェクト管理の空きがあった、フィリピンへ赴任しました。

当時は20代後半。最年少かつ唯一の女性駐在員だったので、現地マネージャーや年上社員に舐められることも。

ですが、日本本社からの無理難題に対し、日本人である私が工場側として戦ったり、コロナ禍で社員の出勤率が下がった時には、緊急出荷を一緒に走り回って準備したり、工場側の要求を顧客や日本に交渉したりしている内に徐々に仲間になれた気がします。

3年弱働いて日本に帰任。日本の生活に満足していましたが、結婚をきっかけに夫の赴任先であるフィリピンに戻ることに。現地で仕事を探して、新しい仕事にチャレンジできているのは、この時の経験のおかげだと思います。

海外移住は「普通」の選択?挑戦を諦めないで

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マニラから車で2時間程のタガイタイ地域にあるカフェの風景
落ち込んだことがあると、早朝に出向いて朝ののんびりとした時間を過ごします

私は、海外というより現場経験を求めて、フィリピンに来ました。

私がいたメーカー業界は、海外志向が強い人は少数派でした。前職の駐在員たちは、会社指示に従ってやむを得ずやってきたという人がほとんど。若手社員は、「海外異動になるなら辞める!」という人も……。

だからこそ、海外で成し遂げたいことが明確にあったり、海外経験が豊富だったりする方を見ると、すごいなぁ、と尊敬してしまします。

しかし、海外就職や海外移住は特別なものではないと思います。

今日本では、人口が減少傾向ですが、2000年に80万人程であった日本人海外在住者(長期滞在者・永住者総計)は2023年で130万人にまで増えています

以前は限られた業種・職種だけであった海外での働き方も、今は、YouTuber、美容師やダンサー等、幅広くなってきました。

ここ3年程のフィリピンの求人を見ていると、以前は製造業が主でしたが、最近はサービス業やIT系求人が増加しています。

そして、就職・生活の間口が広がった結果か、私がフィリピンで出会う日本人は野心家だったり突飛だったりする方は稀で、良い意味で「普通の人」も多いです。

自分自身を振り返ってもそうですが、海外、特にフィリピン含む東南アジアへの移住は、日本国内の転勤と同じような感覚になってきていると感じます。

こんな私の経験を通じてお伝えしたいことは、「海外」を理由に挑戦してみたいことを諦めなくても大丈夫、ということ。海外でも特に東南アジアなら、日本と同じような生活もできます。

やってみたいことがあるのであれば、「じゃあ、次は海外に行ってみようか」と思えるような発信をしていきたいと思います!

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