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【英国・教育移住のリアル②】人生で最もつらい1カ月、流浪の家族が行き着いた先は…(家探し前編)

前回からだいぶ時間が経ってしまったこのコラム。暗く寒い英国らしい気候の中、渡英前の日々をつづった初回でしたが、今や季節は5月。20度超えで強い日差しが照り付けます。この日光を待ち望んでいた英国人たちはこぞって薄着になり、我先に紫外線を肌に受け止めている姿はほほえましくもあります。スナク政権がぼろ負けして年末の政権交代が濃厚になったり、電車ストが今だに頻発したりする国ですが、無邪気に夏を楽しもうとする彼らと一緒に「何も考えずに今を感じよう」と割り切るのもありですよね。さて、今回は英国到着後の家探し編です。二度と経験したくないあの1カ月を2回にわたりご紹介します。(在欧ジャーナリストHugh)

◆阿鼻叫喚、家賃相場が数カ月で1.5倍に…

ヒースロー空港近くのホテルに一泊し、しばしの休息を取った私たちでしたが、休んでもいられません。在住できるビザは手にしているものの、何より「家無し」状態。会社におんぶにだっこの駐在員とはわけが違います。すべて自分たちの手で手配しなければいけません。

住居に関しては、渡英前から「rightmove」や「zoopla」などのサイトで教育環境や治安などを優先条件に、オンライン内覧をしたり会社の社長が現地を視察してくれたりと下調べを進めていました。しかし、結局は「本人たちが現地に来て決断しないと契約できない」と断られ続けたのが実情です。

しかも、優良な学校が多く、第一希望だったロンドン北部が、家族持ちの現地採用では手が届かないことが早々に判明。加えて、日本で家探しを始めた2022年5月に比べ、家賃相場が少なくとも1.5倍以上に跳ね上がっていました。

それもそのはず。22年以降のインフレ率を振り返すと、なんと渡英したのは、最も物価が高騰した時。この年の10月が天井で、その後は少し落ち着きますが、意気揚々と英国の地を踏んだ私たちの出鼻をくじいたことは言うまでもありません。

しかし、それにしても1.5倍。当時は家族5人で暮らせる家は1500ポンド(約30万円)台で検索に引っ掛かっていましたが、渡英後は2500ポンド(約50万円)でも出てこなくなりました。

そもそも、オファーを受ける段階で家賃相場も念頭に入れ、少し頼りない金額ながらも「なんとか家族5人で暮らせるだろう」と算段していました。それが、すでに最大の固定費の急騰が確実に。私がロンドン行きをごり押しするまで、前職でほぼ決まっていたシドニー特派員の選択肢を望んでいた妻の気持ちは痛いほどわかります。心の中でこの夫に付いてきたことを死ぬほど悔やんでいることがわかるだけに、平静を装いながらも焦りだけが募ります。

家のめどがつかず、さすらい続ける5人家族                           

◆ロンドン郊外南西部に照準、ホテルには移住家族

そこで、私たちはロンドン市内をあきらめ、比較的治安が良く、評判の学校が多い南西部に的を絞ります。まず最初の拠点にしたのがStaines(ステーンズ)という街。ロンドン中心部から電車で約1時間のこの場所は、近隣に点在するよい雰囲気のエリアをリサーチするのに立地は抜群。しかも、ホテル代も周辺より割安だったため、あらかじめ数泊分を確保しました。

しかし、早速暗雲が立ち込めます。日本の家財道具を処分し、自分たちのすべてを詰め込んだスーツケース。タクシー代をケチり、駅から徒歩で運んでいましたが、道路舗装に難のある英国の歩道で車輪が壊れます。車輪のない25キロは相当に重く、底を引きずりながら何とかホテルにたどり着きました。

チェックイン後、迷路のような廊下をたどると、途中で驚くほど多くの家族連れに会いました。ただ、いずれも旅行客っぽさはゼロ。どうやらこのホテルは住所のない移民の方々向けに部屋を貸し、仕事を提供している様子。誰もみな感じは良いものの、現実も見せつけられたようで「私たちも同じようなものだよね」とテンションは下がります。

気を取り直して町を散策すると、驚くほどのシャッター街。浮浪者が多く、奇声を発する若者もうろついています。この時は夕方でしたが、夜なら確実に危険を感じる雰囲気です。イメージしていた南西部の良さを微塵も感じることもできず、簡単に食事を済ませて足早にホテルに戻ったのは言うまでもありません。

物件内覧の移動は公共交通機関限定。最初は興奮気味だった二階建てバスも、乗りなれて新鮮味もなく…          

◆激しい内見競争、電話頼みのキツさ

翌日から始めたのは、内見の予約です。子どもたちが就寝したあと、妻と二人で明け方まで物件を探してリスト化します。その後数時間の仮眠を取り朝食を済ませたら、カフェに缶詰になり電話をかけまくります。家探しをして気づいたのは、メールでは埒が明かないということ。前時代的ですが、とにかく直接電話するのが一番。そこで二人で手分けして何十件も問い合わせをし、できるだけ当日、翌日の内覧で予定を埋めていきます。

ただ、やることのない子どもたちをメディア漬けにし続けることもできないので、公園に連れて行ったり、買い物をしたりと気晴らしをさせつつ、新しい街を訪れることで自分たちのモチベーションも引き上げる効果も狙うなど、涙ぐましい努力をしていたのが懐かしいです。

照準を定めたこの南西部。Richmond(リッチモンド)やSurbiton(サービトン)、Kingston(キングストン)、Teddington(テディントン)など訪れた街はいずれも素晴らしく、「理想的な英国暮らしができるのでは!」と期待が膨らみます。カフェも多く、ローカルな店で食べたスコーンは手作り感満載で、落ち込んでいた気持ちも前向きになり始めます。

とはいって、何事も予定通り進まない私たち。目的だった内見にぞろぞろと向かうと、家の前には人だかりが。ドアで待ち構えていたエージェントの女性と話すと、すでに8組が見学中。2つの駅から徒歩15分ほどで、小学校も近く、広さもまあまあです。ただ値段が2500ポンド超と割高感が否めませんでした。「ちょっと保留かな」と思いながら見学していると、あの女性から「きょうは20組以上が内見するから、決めるなら今すぐデポジットを支払ったほうがよい」とアドバイスされました。日本人的に「もう少し検討」は通じないらしく、見学終了までに実際に誰かが仮決定までこぎつけていました。

初日から私たちは連戦連敗。一日40~50件の電話攻勢から4~5件の内見を勝ち取るも、いずれも高い競争率に負けます。ホテル代も2部屋分必要なため、1日当たり7~8万円が飛んでいきます。スーツケースは会社に預け多少身軽になったものの、急激に減る預金残高と家が決まらない焦燥感が、私たち家族の精神状態を徐々に蝕んでいきます。2週間ほどで50件ほど内見しても、なしのつぶて。光の見えない長いトンネルを、体を引きずりながら歩く5人家族を想像してほしいほどです。

疲労困憊で言葉数が少なくなる家族

◆義父が急遽帰国、極限のストレス

ちなみに、当初は5人ではなく6人でした。私たち家族を心配した義父が日本から荷物持ちとサポートをかって出てくれて、同行してくれていました。ただ、重い荷物と連日の移動、先行きの見えない状況に義父の精神状態も悪化し、2日目には部屋から出てこない事態に!そして、とうとう3日目には書置きを残して、一人帰国の途に就きました。1カ月ほどいる予定だっただけに、相当義母には怒られたようですが、責められません。それほどまでに、追い込まれる精神状態だったということです。

さて、懐が急速に乏しくなってきた私たちは、研究員時代過ごしたオックスフォードに住む友人宅に身を寄せながら、心機一転を図ります。相棒となる愛車も手に入れ、理想の家?の登場までカウントダウンが始まります。続きは次回で!

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