海外就職その後の体験談
『ベトナムからスタート:少子高齢化の日本を救うためのキャリア選択』ベトナム・ハノイ在住3年 K.Mさん33歳
海外就職をして3年以上経過した方のインタビュー
Q1:現在お住まいの国及び都市はどこですか?
ベトナム・ハノイ
Q2:Q1での勤務年数は?
3年
Q3:日本を離れてから現在までの経緯は?
2016年からベトナム・ハノイでオフショアソフトウェア開発チームのプロジェクトマネジメントを経験。
その後、全社PMOのメンバーとして組織運営に携わりました。
約3年現地で就労した後、2018年末に日本支社に異動し、翌年8月に日本国内で転職。
その後、全社PMOのメンバーとして組織運営に携わりました。
約3年現地で就労した後、2018年末に日本支社に異動し、翌年8月に日本国内で転職。
Q4:現在、どんな業界、職種でお仕事をされていますか?差し支えなければポジションもお知らせください。
外資系IT企業のカスタマーサクセスマネージャーとして、金融系でのRPAツール導入支援に尽力しています。
少子高齢化の日本を救うためには:
①人口と経済の伸びが急速に進むアジア諸外国の才能を迎え入れてグローバルチームを創り上げること。
②機械で実現可能な業務を機械に移譲し、人間が本来創造性を発揮すべき社会を実現すること。
この2点がキーになると思っており、ベトナムでのキャリアでは①を経験し、今現在は②にトライしています。
少子高齢化の日本を救うためには:
①人口と経済の伸びが急速に進むアジア諸外国の才能を迎え入れてグローバルチームを創り上げること。
②機械で実現可能な業務を機械に移譲し、人間が本来創造性を発揮すべき社会を実現すること。
この2点がキーになると思っており、ベトナムでのキャリアでは①を経験し、今現在は②にトライしています。
Q5:海外だからこそ経験できた仕事内容を具体的に教えてください。
1,000人以上の多国籍なメンバーに囲まれながら、急速に拡大する組織の運営に携われたことで多くの気付きがありました。具体的には、ソフトウェア開発現場の課題解決のみでなく、現場で発生した事象の根本的な原因を改善する機会に恵まれました。人事採用・総務・経理などバックオフィス系の業務に関わる機会も得られましたし、現地でソフトウェア開発に直接関わる日本人は10名前後と多くなかったため、ご来越クライアントのプリセールス対応に携わることもありました。技術者としても、現場でコードを読み書きするのみでなく、クライアントのビジネスを紐解きながら適切なアーキテクチャを策定するなど、より高い視座で仕事に取り組む機会が得られました。
Q6:苦労したことは?壁にあたったことは?帰りたいと思ったことはありますか?
2016年にベトナムに渡って初めて取り組んだプロジェクトが非常に大規模な受託開発案件で、私がプロジェクトにジョインした時には既に3回ほど検収が得られていない状況でした。上流工程での要件定義にも負の遺産があり、100名近いメンバーが稼働するソフトウェア開発チームでの進行状況をキャッチアップしながら、リスクヘッジしつつ実現可能な落とし所を探っていくミッションは非常に難易度が高いものでした。会社の存続が掛かっている状況だったので、帰りたいという選択肢はありませんでした。
Q7:Q6をどのように克服しましたか?
入社直後で社内外の誰がどういった役割を担っているかの情報もない状況だったので、ハノイオフィスでは常に走り回っていました。プロジェクトのタイムライン上で乗り越えなければならないミッションがあり、同時にチームメンバーに顔を覚えてもらうことを並行していたように思います。ベトナムの労働環境では英語のコミュニケーションが難しい状況も珍しくありませんが、幸いにも技術者としての共通言語を持っていたので、現地のエンジニアとは画面を一緒に見て指差し確認しながら仕事を進めていました。
Q8:海外就職して得たこと(成長したこと)は何ですか?
多文化・多言語環境で働く上で、ひとりのリーダーとしてどういったマインドセットを持って、いかにフラットな視線で相手を尊重しながら仕事を進めるべきかという点です。日本国内の就労環境では育ちにくいソフトスキルが大きく育ったと感じています。
Q9:現時点でかまいませんので、今後のキャリアをどのように考えていますか?
新しい環境で働き始めて3週間ですが、今回のミッションも非常に大規模で、リーダーとしてチームを巻き込みながら顧客を成功に導くことが期待されています。まずは確実に目の前のキャッチアップを完了させ、世界的に見ても大規模な事例をグローバルにフィードバックすることが第一にあり、その過程で得られる可能性はこれまでの日系企業のスコープに留まることはなく、本当にグローバル人材としての可能性を得るものになるだろうと感じています。従って、今後の可能性についてはまだ見えていないところが多くあります。
私の場合、自分自身のキャリアを最終的に自分が好きな音楽:特にロックカルチャーの継続的な発展に着地させたいという思いがあります。今日時点で間違いないと思っているのは、人口と経済が急速に発展するところには何らかの摩擦が生まれ、そこから強力なメッセージを持ったアーティストが台頭する可能性が高いという点です。ひとりの技術者でありグローバル人材である自分が、どういった形で彼らと併走できるだろうというのは常に思考していますし、アンテナのひとつとして刺激的な仕事を選び続けることも大切であろうと考えています。
私の場合、自分自身のキャリアを最終的に自分が好きな音楽:特にロックカルチャーの継続的な発展に着地させたいという思いがあります。今日時点で間違いないと思っているのは、人口と経済が急速に発展するところには何らかの摩擦が生まれ、そこから強力なメッセージを持ったアーティストが台頭する可能性が高いという点です。ひとりの技術者でありグローバル人材である自分が、どういった形で彼らと併走できるだろうというのは常に思考していますし、アンテナのひとつとして刺激的な仕事を選び続けることも大切であろうと考えています。
Q10:最後に、これから海外就職を希望される方へどのようなことでも良いので、コメントください。
キャリア選択の芯として自分の経験業種があり、そこに5年ほどの経験があるとアジア諸国の就労ビザが獲得しやすい状況を作れると思います。こういった状況のキャッチアップにはGJJさんのサービスをご利用ください。
英語は1-2年など期間を決めて集中して取り組むと効率がよいでしょう。私の場合、TOIECのスコアは2015年3月で380点→2015年7~8月にフィリピン留学→2015年10月には700点に到達し、ベトナム現地の企業から4件の採用内定を得ました。現地就労後、2019年5月には860点に到達しています。
少しくらい失敗したっていいんです。失敗から素早く学び、出来る範囲で走り続けましょう。
英語は1-2年など期間を決めて集中して取り組むと効率がよいでしょう。私の場合、TOIECのスコアは2015年3月で380点→2015年7~8月にフィリピン留学→2015年10月には700点に到達し、ベトナム現地の企業から4件の採用内定を得ました。現地就労後、2019年5月には860点に到達しています。
少しくらい失敗したっていいんです。失敗から素早く学び、出来る範囲で走り続けましょう。
プロフィール
『ベトナムからスタート:少子高齢化の日本を救うためのキャリア選択』ベトナム・ハノイ在住3年 K.Mさん33歳
失敗から素早く学び、出来る範囲で走り続けましょう。
大学で情報デザインを学び、卒業後7年間ITコンサルティングファームにてソフトウェア開発プロセスを一気通貫で経験。苦手意識のあった英語をフィリピン留学で克服し、ベトナム・ハノイのソフトウェア開発企業に海外就職し3年間就労。現在は日本国内にて外資系IT企業に転職し、新たな道を歩み始める。
K.Mさんのはじめての海外就職体験談はこちらをクリック
K.Mさんのはじめての海外就職体験談はこちらをクリック